「……え、もしかしていい人?」
私は想像以上にちょろかったのかもしれない。
リビングのテーブルの上にあったのは、それはそれは美味しそうなできたてほかほかの日本食。
食欲をそそる匂いと見た目にお腹は正直で、遠慮もなくお腹を鳴らした。
「僕料理得意なんです」
そう誇らしげに胸を張る美形にちょっとだけぐらついたのは事実。
人の家に侵入して、人様の爪を剥ぐけど、食事を作ってくれる顔のいい生き物なので妖怪とかちょっと怖めな妖精とかの部類なのかもしれない。
グリム童話のヘンデルとグレーテルのごとくお菓子の家を餌に誘導されているのをわかっているが乗ってしまいそう。
「ありがとうござます。いただきます。では、また来年くらいで!」
部活顧問に挨拶をするかのごとく勢いよく頭を下げた。帽子をかぶっていたなら脱帽して頭を下げていたところ。さぁ、玄関はあちらです!
別に1人でも食事はできますので。
作ってくれたからには完食するし、ちゃんと味わって食べるので安心してください。
「一緒に食べましょうね、帰れといったらこの料理に今から食器用洗剤をトッピングします」
「ぜひとも一緒に食べてください」
だから食器用洗剤持ってたのか。
そんなシャカシャカ振ってアピールしなくてもがっつり視界に入ってます。
美味しそうなご飯を人質にされたら、プレパラートよりも脆い私の意思は180度変わる。恐怖よりも食欲を優先して何がわるい。後悔するとかしらない。開き直りともいうが。
私が手を洗い、脱衣所で部屋着に着替えて戻ってくると妖精さんはさらに飲み物とお味噌汁まで用意してくれていた。
なんだ、妖精さんだから人の常識がちょっと抜けていたのかと微笑ましくなる。
散々怖がってごめんなさい、妖精さんはちょっといたずらっ子だからお家とかにも勝手に入っちゃうよね。
脳内で納得しながら、ローテーブルの前に座る。うちはクッションや座椅子に座って食事をする形式なので対面で床座りをする。
うん、なんか美形にローテーブルは似合わない気がするけど致し方ない。
名前すら知らない他人と対面ご飯はやや気まずいが妖精さんはマイペースに食事を食べ始めていたので、私も私でマイペースに「いただきます」と声に出して箸を持つ。
まずはと、恐る恐るワカメと豆腐のお味噌汁に口をつけるとお出汁の旨味が広がる味に涙が出てくる。ほっとするお味!舌も鼻もお腹も大喜び、脳内では両手を合わせて拝むレベル。
五臓六腑に染み渡る、胃だけといわず是非とも他の臓器もこの美味しいお味噌汁を味わってほしい。自分が日本人であることを再認識する。
最近インスタントですら汁物は取ってなかったところに、この美味しすぎるお味噌汁は反則だ。
「美味しいよぉ」
「あなた美味しそうに食べますね」
「だって、美味しいです」
美味しいは正義。警戒心は多分手を洗った時に一緒に流れた。
お味噌汁だけじゃなくて、副菜のきんぴらごぼうやお浸しもわくわくしながら食べていく。
胃袋から落としにきているだろ、絶対に自分では作らないラインナップにもう負けを認める。
「ありがとうございます、幸せだぁ」
正直な感想を伝えれば、妖精さんは形のいい目をぱちぱちと瞬かせて不思議そうな顔をする。
予想外の様子に私まで不思議な気持ちになってしまう。やばい、食べすぎて食い意地張ってると引かれたかと思ったがそうではないらしい。
「え、何かおかしいですか?」
「あなたの幸せそうな顔が見れて、なんだかぽかぽかします」
小さく小首を傾げられてしまうが、こちらとしてもそれどころではない。
そんな真っ直ぐで綺麗で優しい言葉をもらえることがあるのかと驚いてしまった。
「幸せな顔が見れるのが嬉しい」は、好きと言われるより、物をもらうより、私のことを大事にしてくれていると思えたのだ。
漸くこの人が私のことを好きなのだと理解できた。ふざけてた訳でも何でもない。
これは私への"好き"を伝えるための手段だったのだ。
「あの、あなたのお名前はなんですか?」
だから初めて目の前の人に興味を持てた。
知りたいと思ったし、このまま拒否をし続けて疎遠になりたくないと思ってしまった。
「真夜(しんや)です。真実の真に、闇夜の夜で真夜といいます」
「名字は何ですか?」
「秘密です」
「なんでですか?」
「名前で呼んでほしいからです」
「手慣れますね」
「でもドキドキしています」
ドキドキするんだ、ふーん、なんて興味なさげにするけど少し嬉しいのは内緒にしたい。
何だかずっと彼の手のひらの上で転がっている気がする。怖がって、泣いて、喜んで、本当に私のことを理解しているのではないだろうか。
「真夜さん」
「なんですか?」
「名前を呼んだだけです」
異性との関わりがない私にとってはこれが精一杯のカウンターだった。ちょっと落ち着かなくなればいいのに。
でも、目の前の人は花が咲くようにふわりと目元を柔らかくして笑ってくれた。
女である私よりも「花のよう」という言葉が似合っている。
何とも真っ直ぐで心がくすぐったくなるような好意を向けられて嬉しい反面、少し冷静になっていく。
それはなぜ私なのか、会ったことがないはずなのにと捻くれた気持ちは、そんな陽だまりのような愛を受け取るほどの価値がないと思ってしまう。
自己評価が低いとかではなくて、私の言葉にこんなにも純粋に喜んでくれる人がいることが驚きで、計算も何もない綺麗で柔らかな好意を貰うことが初めてだった。
彼は愛を伝えることだけで、対価を求めてこない。
釣り合うのかな、そんなことを思ってしまうことが失礼で、深く考え込む前に思考を無理やり逸らした。
「私は明理(あかり)です。明るいに理科の理で明理といいます」
「知っています」
「そうですか……」
「でもあなたから聞けて嬉しいです」
「そうですか!」
「照れてますか?」
「照れてません!お、お仕事は何されているのですか?」
「シェフです」
「だからこんなに料理が上手なんですね」
「愛情込めて作りました」
「私の仕事は?」
「食品を扱う会社の経理を5年されてますよね」
「合ってます……」
「嫌いな女性の先輩と嫌味を言ってくる女性の上司がいて大変ですね」
「十分です……」
うん、やっぱり普通ではないんだよな。
恐怖とトキメキのバトルは先程までトキメキがかなり押していたが、今や互角のいい勝負になってしまった。きらきらエフェクトは普通に取れた。よく正気に戻った、えらいぞ私。
目が据わるものの食事は和やかに進んでいった。
こっちは真夜さんの名前と職業以外に情報がゼロなので、どんどん質問をしていく。
抵抗は特にないのか普通に答えてくれるのは助かります。
まぁ、時々きょとんとした顔でとんでもない爆弾発言をするのでその度に顔が真顔になるけど。
「ごちそうさまでした」
「口にあったようでよかったです」
「凄く美味しかったです、ありがとうございます」
食卓にあったお皿は綺麗なほどに空になった。
美味しい食事は心身ともに満たしてくれるのか心まで満足だった。
深々と頭をさげてお礼を言えば、真夜さんは花を霞ませるほどに美しい笑みで微笑んだ。
絶対にこの笑みで老若男女問わず人様の人生を狂わせたことがあると確信できた。
「また食べたいですか?」
それは私がなんと答えるかを当然の如く予知ができている人が浮かべる笑顔だった。
私は反抗心でむっとして即座に口を開いた。
「はい!是非ともお願いしたいです!」
悲しいかな反抗などできなかった。
私を突き動かすのは個人情報を握られている恐怖や、美形に片思いされているトキメキではなく、美味しいご飯を食べたいという食欲だった。
もう負けも大負け、脳内の私は白旗を風切るくらいにブンブン振り回している。
真夜さんはまた笑った。
今度の笑みは気の抜けた柔らかくて、向けられた人は陽だまりにいるような心地になるような笑みだった。最初は無表情な冷たくて怖い印象をいだいていたが、今はよく笑う人だと思う。