すごく疲れていて目を覚ましたくない。
体だけじゃない脳みそも精神も疲労で起きる気力がない。
このままもっと寝ていたい。
瞼と瞼がお友達。仲良しだね、目が開かないよ。

「起きてください、風邪ひきますよ」

誰かの声がした。男の人の声だ。
私を起こす人なんていただろうか。
こちとら恋人ゼロの寂しい女だぞ。
というか寒い、まるで外にいるみた、い……。
その瞬間、冷水浴びたんかってくらい意識が鮮明になって、勢いよく目を開ける。
目の前に美形!
目に毒なぐらいの美形!
でもこの人ガチでやばいやつ!
この時間はわずか3秒程度だっただろう。

「ひっ、ぎゃぁぁぁ!」
「寝起きなのに元気ですね」

普段使うことのない腹筋を全力で行使して、固い太ももの上から飛び上がるように上半身を起こす。
微笑ましそうな顔するな。

「うわぁぁぁぁぁ!」

悲鳴しか上げられないのか、私は。
野球部だって羨望の眼差しをくれるくらいの声が腹からでた。
まぁ、今日以上に悲鳴を上げる日もないだろうからね。
そういう日もある。出せるときに出そう。
なのに、常識を飛び越してるこの美形(優しい言い方)は困った顔をする。
おい、どの面さげて私を非常識なやつみたいな目でみるのだ。

「夜なのであまり騒がないほうがいいかと思います」
「あなたのせい!」
「具合は大丈夫ですか」
「あなたのせい!」
「プレゼントそんなに嬉しかったんですか?」
「もういやだぁ」

ぶっ飛ばしてやろうか、おい。
誰が騒がしてるんだよ。
もう無理、マジで無理、神様私は何かしましたでしょうか。
毎日毎日頑張っている私になぜこんな試練を与えるのでしょうか。
夜空の綺麗なお月様を厳しい目で見る私とは他所に美形はベンチから立ち上がった。
お?私の悲鳴に愛想をつかせたか?
よし!いいぞ!そのまま立ち去れ!
バイバイ!もう二度と会いませんように!

「暗いですし、お家まで送りますよ」
「結構です」
「あなたのアパートの前の道は街灯もないですし、危ないですよ」
「今の言葉を聞いて何よりもあなたが危険とわかりました」
「大丈夫ですよ、僕は優しい人です」

これ程までに「嘘つき野郎!」と言いたくなることはあるだろうか。ダウト、あなたは真っ黒なやばい人間なんです。
大人としてのプライドを捨るくらい駄々をこねたとしても1人で帰りたいし、このとんでもねー化け物とは距離を置きたい。
なのに、財布とスマホという命の次に大切な物が入ったカバンを人質にされて私はトボトボと美形の後をついていく。

すごいなぁ、この人。
迷うことも私に聞くこともなくスタスタと私の家の帰路を進んでいく。
安らぐ自宅に帰るはずが、死刑執行台に向かう囚人の気持ちを何となく理解してしまった。

「送ってくれてありがとうございました」

私の部屋番号まで把握していた美形に、今の顔色は真っ白を超えて青紫になっているだろう。
わぁ~、朝顔みたい~、お花みたいで可愛い!
私大丈夫そう?
でも、お礼も言えない無礼者として可愛い爪とバイバイするのは嫌すぎるので、丁寧に頭を下げてお礼を言う。それはもう直角90度って感じでお辞儀をした。
生きた心地がしないので、もう関わりたくないですが本音だとしてもだ。

「とんでもないです」
「暗いのでお兄さんもお気をつけてお帰りください」
「いやです」
「いやです!?」
「一緒にお茶しましょう」
「いやです!!」
「こないだ買っていた紅茶一緒に飲みたいです」
「いやです!!私の拒否聞こえてますか!?」
「何かいいましたか?」

絶対聞こえてるだろ。
いきなり突発性難聴のふりはやめろ。白々しすぎる。
というかさ、その鍵は何?
私の鞄からじゃなくて自分の鞄から鍵だしたよね、ねぇ!ねぇ!ねぇ!聞いてる!?笑えないぞ!
いや、今までの行動どれ一つをとっても笑えないけどさ。
赤ちゃんもドン引きするくらいに泣きわめけば嫌ってくれるだろうか。

「寒いですし、早く入りましょう」
「私の家です!お帰りくだい!」

ちゃっかり家に入ってくるこの化け物に私とて堪忍袋の緒が切れる。
舐めるなよ、こういう大人しいタイプほど怒らせたら怖いんだぞ。

「もういいです。警察呼びます」
「あなたが警察を呼ぶのが早いか僕があなたを拘束するのが早いかのデスマッチですね」
「ちょっとしたジョークですよぉ、もう!」

余談ですが長いものには巻かれろ。権力、力には屈しろと思うタイプの人間です。

「リアルでびっくりしてしまいました」
「なんで私の住所知っているのですか?」
「好きな人のことなので当然ですよ」
「当然なの?」
「はい、ご実家の住所もしっています」
「は???」

そんなに私のこと好きなの?全くもう!愛されすぎて照れちゃう!
でも凄く寒気がするの。ここは南極ですか?震えが止まりません。
何でそんなに私のこと知ってるの?調べたの?どうやって?
全然気が付かなかった〜!すご〜い!お姉さんその方法詳しく聞きたいかも!
もう自分のテンションも人格も安定できるわけがない。
現実の私は生まれたての小鹿ぐらいに震えて情けなかった。

「お父様は腰が痛いみたいですね、通院するほど痛いようなのでお大事にしてください。お母様は最近趣味で生花をされてるみたいですね」
「私より詳しいですね!あはは!」
「ところで僕とつきあってくれますか」
「脅しでは?」
「僕とつきあってくれますか」
「あの爪ってフィクションですよね」
「え、一昨日とったばかりのほやほやの本物です」
「だから先輩休んでるのか~~!」
「ちゃんと素性は隠しましたし、弱み握っているので警察にも行けないです」
「わぁ、プロの犯罪者だ~!」
「照れますね」
「帰れ」
「ところで僕とつきあってくれますか」
「お”ぁ……えっと、わ、私両想いにならないと付き合わない主義なんです」

何とも言えない声が漏れてしまう。どんな鳴き声だよ。カエルだってもっと可愛い声が出ただろう。
いや、それどころじゃなくない?
目の前に人の爪を剥ぐ化け物がいて、告白された場合の断り方、誰か知ってる?
できれば私に危害を加えられない模範解答を知りたい。道徳の教科書とかに載ってたかな。
脳内でいくら検索をかけてもいい解答は出てこなくて、なんとか当たり障りのない返事をする。
グッバイ!私の爪!
君は生まれた時から一緒だったけどお別れする時が来るとは思わなかったよ、化け物のコレクションになっても息災でいてね……。


「そうなんですね……」

おっと?意外と良心があるタイプの化け物だったのか。
野山に住んでいるあまり人間社会を知らなかっただけの化け物とみた。
正直、着火!逆ギレ!処刑!の3ステップをリズミカルに踏んで爪どころかこの世からもグッバイするところまでは覚悟していた。
でも、目の前の化け物はしょんもり、しょぼーん、みたいな効果音が付きそうなくらい落ち込んでいる。
僕捨てられた子犬です、みたいな哀愁といじらしさを醸し出すので罪悪感を少し覚えてしまうが、実際は妖怪爪剥ぎ野郎なので心を痛める必要はない。

「なのでまた来世くらいでお願いしますね」
「つまり好きになってもらえばOKってことですか?」
「違います」
「そうですよね。僕はあなたのことを全部しっていますが、あなたは僕のことを知らないですよね。頑張ります!!!」
「やめて、頑張らないで」
「まずは友達からということなのでまた遊びにきますね!」
「違う!違います!何もあってない。お願いです、関わらないでください」
「絶対に好きにさせてみせます!失礼します!」

美形は少女漫画のヒロインみたいなセリフを吐き捨てて元気に帰っていった。
遠回しのお断りだったのに、どこにそんなやる気を見出したのか。
なんでこの平々凡々の私に執着をする。なぜだ、誰か教えてくれ。

もう状況が飲み込めなさすぎて、頭の中は考えることを放棄していた。
明日も仕事だし、お風呂入らないと。
場違いにもそんなことしか思いつかなかった。
先ほどの出来事は脳内処理として無かったことにしようとしているのかぼんやりとしたままお風呂に飛び込み、あまり物で作ったご飯をお腹に詰め込んだ。
機械的に歯を磨き、世界一大好きなお布団に勢いよく飛び込む。
温かさに包み込まれたからか、ようやく脳内処理ができたのか布団を頭まで被りべしょべしょに泣き出す。

怖かった!怖かった!怖かった!
妖怪って本当にいるの知らなかった。まだ絶滅してなかったんだ。お外怖い。
何なの、さっきの人は。
仕事の疲労が見せた夢に違いない、そう私の幻覚、妄想。もうあの人とは会わない。
大丈夫、大丈夫と何度も唱えて何とか精神崩壊を防ぐ。
正直かなり追い込まれている。何を食べたか数分前なのに思い出せないし、味もわからなかった気がする。
私の味方はこのお布団だけ。
お布団さんラブ、愛してる。ずっと味方でいてね。
枕さんごめんね、私の涙でべしょべしょだよね、今日だけは許して、怒らないで。
全世界の人間が私に優しくするべきだ。
1人のアパートが何だか怖くて、嫌いなはずの仕事が一筋の光に思えた。