本日はノー残業デイ。
仕事が片付いたとかじゃない、職場の人全員から「もう帰りなさい」と温かい目で追い出されたから。
仕事に行き、いつもならウンザリするお局の朝一嫌味に対して、あ!平穏な日常!と生きていることを実感して、嬉し泣きをした。
最初はあーあ、ついに苦しくて泣いたか、と周囲は冷めた目で私に視線を送ったが、私は憧れのハリウッド女優に会えたかの如くお局に感動の握手をしだしたので、それを見ていた全員が戦慄した。
あいつ、等々頭やられたぞ!皆さんの心の声がしっかりと聞こえました。
お局すら、「あんたどうしたの!?大丈夫!?」と心配していたので案外いい人なのかもしれない。
一日中にこにこハッピーオーラ全開の私に対して、全員から気が触れた人間に接するような気遣いを感じた。いや、私は正気で生きている喜びを味わっているだけだから。
とにもかくにも久々に早く帰れて私はウルトラハッピー!
神様は私を捨ててなかった。
昨日はごめんね、お詫びに今日はゆっくりしてね、と神様の優しさすら感じた。
ちなみに、先輩は今日も休みでした。
風邪をこじらせたのかなぁ〜!お大事に!
あの公園はトラウマすぎてもう近道をしようとすら思えない。
は?昨日は何もなかったし!私は運動したいだけ。


気分は最高潮、ルンルンで自宅の扉の鍵を開けながら、今日は何をしようかと考える。
こんなことを考えられるなんて!
えー、どうしちゃう?ゆっくりお風呂?見たかった映画でも見ちゃう?
どうする?どうする?とワクワクが止まらない。
でも、ドアを開けた瞬間に希望は粉々にされる。
もうね、希望という気持ちを鉄バットで細かく砕いた後に念入りにすり鉢で粉状にするってくらい粉々になったって言えば通じる?
どうして私の玄関に男物の靴が置いてあるの?
どうして消したはずの電気がついているの?
あ!もしかして違うお家に入っちゃったのかも!
も~、うっかりさん!正気に戻るまでファミレスにでもいく?帰りは警察署に寄り道してさ!
仏のような笑顔を浮かべて物音を立てないようにそーっと知らない人の家から退出しようとする。

「おかえりなさい、また出かけますか?忘れ物でもしました?」

なんでいるんだよ!!!!!
人生でこれほどまでに怖い経験をしたことがあっただろうか。
怖いを通り越して「終わった」とすら思う。
目の前が真っ暗で絶望って本当に黒色なんだと納得するくらいの感覚。
なるほど、なるほど、映画とかで見る自宅に殺人鬼がいたときの被害者の気持ちってこんな気持ちなんだ。一生知りたくなかった。
大人とか関係ない、怖すぎて漏れそう。
立っている気力すらなくて玄関に座り込んで丸まって、ふぇぇぇん、とかじゃなくてえずくほど泣いた。
今なら本当に吐ける。
神様、ごめんなさい、日頃の行いを悔い改めます。
毎日神社に参拝して、お賽銭を入れます。いいことだって沢山するので許してください。
今私にできるのは神頼みしかない。

「今日は早いですね、僕も会えて嬉しいです」

美形をフル活用して微笑むな。場違いすぎて恐怖が余計に煽られる。
話が通じなさすぎて、人間の皮を被った怪物と話をしているような気持ちになってしまう。
第一、そんなトキメキラブ100%のわけないだろう。
これのどこが好きな人と会えて喜ぶ人間に見えるのか。
恋愛映画の主人公がこんなえずくほど泣いてみろ、100年の恋も1秒で終わるし、視聴者のコメントは「たっぷり寝てカウンセリングに行きなさい」の一択になる。
貧弱OLは泣きすぎて過労死しそうなので、必死に抵抗してご帰宅を何とか願う。

「うぇぇ、おぇっ、ひっ、なん、かいるよぉ」
「僕に会えてそんなに嬉しいですか?照れます」
「ひっ、ひっく、うぇ、怖いよぉ、お家帰りたいよぉ」
「大丈夫ですか?ここはあなたの家ですよ」
「知っとるわ、うぇっ」
「美味しいご飯できてますよ」

この状態で食べられるか。もう少し寄り添ってくれ。
あなたにビビッて泣いているのわからないかな。
私が好きというならば優しさ以上に人間の生態を頭に入れてほしい。
いや、そもそもこの化け物が丹精込めて作った料理は口にしたくない。
「やだよぉ」しか口にできなくなった私に、目の前の新種の生物は漸く拒否反応を起こしていることを理解したのか心苦しそうな顔をする。

「あの、言いにくいのですが……流石に半年前の小麦粉は捨てたほうがいいと思います……」
「なんで私、引かれてるの???」
「新しい小麦粉を買ったので今後はそっちを使ってください」

は???なんで私のこと理解できないちょっと頭のおかしい生物を見る目で見るの。
流石に納得できなすぎて恐怖よりも、解せない感情に支配される。お陰様で涙も止まりました。強制的すぎない?優しさって知っています?
人の小麦粉状況を把握しているあなたの方が頭おかしいから。

「は?半年くらい余裕ですから!」
「……そうですよね、感性は人さまざまですよね」

違うじゃん、そこじゃないから。何を否定しているの?もっと言う事あるじゃん。
他人の家に勝手にいて小麦粉の賞味期限を把握しているとかさ。
ほら、人の爪を剥ぐ妖怪に一生懸命に気を遣かわせてるよ。
もっと別のところに気を遣ってほしい。
もう否定も抵抗する気力がない。泣きつかれたともいう。
よたよたと覚束ない足取りでリビングルームに入る。
テーブルに人間のソテーとかあったらどうしよう。