「最近雰囲気変わりましたか?あ、悪い意味じゃなくて素敵になったと思って」
どうやら自分磨きは成功しているらしい。隣の部署の男性からそうお褒めの言葉をいただいた。
褒められて純粋に嬉しいと思う反面、一番に褒めてもらうのは真夜さんが良かったなんて思ってしまう。
そんな言葉を堂々を口にするのは失礼極まりないので、表ではお礼を簡単に言って切り上げる。
「ありがとうございます、最近美容にハマったもので」
一例をして去りたいが、お生憎大量にコピーをしていて、この場から動けない。
同僚くんも動かない。どうぞお席に戻ってお仕事をしてくださいな。
「あの、よかったら一緒にお昼でも行きませんか?」
「ありがたいですけど、今日はお弁当を持ってきてしまったのでまた今度誘ってください」
「そうですか、急にすみません」
同僚くんは特に気にすることなくお席に戻っていったのであっさりとこの話は終わった。
珍しいことではあるが、午後がバタついていたこともあり、この会話を帰宅したときには頭から抜け落ちていた。正直、自分としてはそのくらいの出来事として認識している。
寧ろ、「真夜さん今日はいるかな~」くらい浮ついて帰路を歩いていたのだ。
神に誓って噓はついていません。
「ただいまです、あれ?真夜さんいますよね、……ぴぇ」
ぴぇってなに?間抜けな声を出すのはやめてください。
でも薄暗い部屋で一心不乱に包丁を研ぐ人間がいたら大袈裟ではなく驚きで心臓が止まりかけるので、致し方ない。
どこのホラー映画かと思いました。心臓がマラソンの後かってくらいバクバクしています。
お願いですから、包丁を研ぐのをやめてください。話し合いをしましょう。
「おかえりなさい」
「そんなにうちの包丁の切れ味は悪いですか?」
「はい、人を斬るには悪いです」
「質問の仕方ミスったな……」
だから頼むので包丁を砥ぎ続けるのやめてくれません?
一体真夜さんに何があったかというのだ。
無言になった部屋で包丁が研石を滑るだけの音だけが響く。
怖すぎだろ、もしかして捌きたい人間は私だったりする?
「あの、何が怒っていますか?気に障ることでもしてしまったでしょうか」
「……誰のためにそんなに綺麗になったのですか」
「え?」
「……今日食事を誘ってきた同僚の男性のためですか」
え、なんで知っているの。
流石に情報が速くない?もしかして聞いていましたか?
ただでさえこの状況がホラー映画なのに更にホラー要素を盛り込まないでほしい。
ホラーの匠か?極めすぎて私は寒気が止まらない。
盗聴器、なんて一瞬頭によぎるがそれは後でこっそり確認をしよう。
……ん?
まって最初に真夜さんはなんて言った。
食事のお誘いの話の前で「誰のために綺麗になったか?」と聞かれなかっただろうか。
「あの、もしかして、嫉妬していますか?」
的外れであれば恥ずかしすぎるので、恐る恐る尋ねるが、その瞬間、真夜さんは包丁を研ぐのをぴたりとやめたので間違ってはいないだろう。
私は心臓がぎゅーっとなるほどの愛おしさをいだいた。
不安にさせたのは申し訳ないけど、嫉妬されるくらいに好かれていることや真夜さんを振り回せたことに嬉しくなってしまう。
「……もう、僕とご飯一緒に食べたくないですか?」
それは小さくて震える声だった。暗くて泣きそうで親に捨てられた子供のような心細さがあった。
下を向いていてどんな表情をしているかを見ることはできなかったが、声だけでどんな気持ちかよく分かる。
恋やら愛やらで人が盲目になるとは本当らしい。
綺麗になる理由なんてあなた以外いないのに。
「私、今日真夜さんと会うの楽しみだったんです」
「いやです、ご飯一緒に食べます」
「今凄い良い出だしだったのに割り込まないでください」
「いやです、これからも一緒にご飯食べます」
「もう、ちゃんと話聞いてください。これからも一緒にご飯は食べます。それとは別に今日楽しみだった理由を聞いてください」
「……なんでですか?」
「綺麗になるのを頑張ったので褒めてほしいなって思っていました」
「褒める、ですか?」
「はい、あなたと釣り合うように綺麗になるお勉強をしてます」
その瞬間、真夜さんは勢いよくこちらを見た。
やっと私のことを見てくれた。頑張ってオシャレした私を。
お披露目をするように両手を広げて、まだ信じられないという顔をしている真夜さんに笑いかける。
あなたに見せるために頑張ったんです。
安心してほしかったのに、いつも穏やかでおっとりしている真夜さんが顔を歪めてぽろぽろと泣き出してしまうではないか。
そんなに不安にさせたことが申し訳なくて、でも不安になってくれたことが嬉しくて。
目元を赤くして泣いている真夜さんはどこか子供のようだった。
真夜さんに近づき、テッシュで顔を拭いながら、安心できる言葉を伝える。
「最近の帰り道は真夜さんいるかなって、あなたのことばかり考えています」
「本当ですか?」
「はい、噓はついていません」
「これからもご飯一緒に食べてくれますか?」
「勿論です、私の日々の楽しみなんですから」
「僕以外選ばないでください」
「……誰かのために綺麗になろうと思ったの私、初めてです」
「僕にとっては明理さんが世界一綺麗です」
「ありがとうございます、頑張った甲斐がありました」
「前から綺麗です、前からずっとずっと好きです」
心臓がぎゅっと掴まれているようで苦しい。
でも、それは幸せすぎる故の甘やかな苦しさだった。
こんな幸せなら今人生が終わってもいいと思うほどに心が満たされる。
好きな人に大切にされている、今どれほどの奇跡が起こっているのだろうか。
「私も真夜さんのこと、……一旦寝ますか?」
何てこった、真夜さんは泣き疲れたのか半分寝かけているではないか。
ロマンスが始まるシーンだと思ったのに、始まらなかった。
正直ドラマならキスシーンレベルの見どころだったと思う。
脳内の私はパレードの準備をしていたが、今や正座をして状況を伺っているではないか。
もしかして最近寝れていなかったのか、ぱっちりお目目はもう開いてすらいない。
くしくしと眠たげな目を擦って起きようとしている真夜さんはとても可愛いです。
可愛いは正義なので許します。
兎にも角にもこの可愛い人を寝かせたいのに、ここは包丁が散乱していて危なすぎる。
硬い床にそのまま放置をするのも心苦しくて、真夜さんをなんとか引っ張ってベッドへと放り投げた。
「……せっかく告白できると思ったのに」
気持ちよさそうにぐっすり寝ている真夜さんに恨み言が溢れてしまうのは許してほしい。